2018年度『ふたば 53号』 活動報告

学部ニュース

 学科のこの一年の動きとしましては教員体制の変更はありませんが、小生三谷が昨年、アメリカハーバード大学デザイン大学院に長期海外研修をさせていただき、今年は加藤顕先生が、ワシントン大学に長期海外研修として渡航し活躍されています。また、百原新先生が共同執筆者である、古生物データにもとづく地表生態系変化の未来予測に関する研究報告が、Science誌361巻6405号に掲載され、千葉大学の中でも顕著な業績として報告されました。

 学生もこの一年間に様々な活躍をみせております。研究分野では、緑地生態学研の辻ひささんの研究が、昨年、日本植生史学会大会での優秀発表賞、
今年も日本第四紀学会で学生発表賞を受賞、環境健康学の矢動丸琴子さんが、オフィス緑化の心理的効果に関する研究で日本緑化工学会賞・奨励賞を、
同じく環境健康分野の池井晴美さんが、千葉大学Future Earth シンポジウムにおいて、森林の生理的リラクゼーション効果を発表し優秀賞を、
環境造園学の金睿麟さんも、韓国伝統庭園の一連の研究で、笹川科学研究奨励賞や日本造園学会ベストペーパー賞を受賞しました。

 作品制作系では、日比谷ランドスケープデザイン展の最優秀賞を、河川林を動く公園とした山崎ひかりさんの作品が受賞し、同展優秀賞を国際宇宙ステーションの庭を提案した鈴木佳怜さんと、漁業風景の産業観光化を提案した宮田美咲さんが受賞しました。日本造園学会学生デザインコンペでも、最優秀賞を宇都宮青流さん・陳瑞さん・邢絲琦さんチームの京都の水文化を再構築する作品が獲得しました。国際的にも、北京で9月に開かれた国際庭園フェスティバルで緑地環境学科チームの竹の作品「竹取物語」が最優秀賞を獲得しています。

 またマネジメント系では、緑地管理研の亀井優樹さん・許韜さん・蘇荻さん・南宏さんチームが、松戸キャンパスを市民の庭として開放するマネジメント提案にて「まちの活性化・都市デザイン競技」の奨励賞を受賞し、地域計画研の江口亜維子さんが、緑の回廊におけるエディブルウェイの企画運営で「2017年度グッドデザイン賞」を受賞しています。10月のアルツエレクトロニカを招いた松戸市国際アート祭「科学と芸術の丘」では、松戸キャンパス内に、地域計画研の学生が丘のマルシェ、風景計画研+庭園デザイン研の学生が、北京での竹の作品を再現展示しました。これら学生の前向きな活躍も、
二葉会の主催・助成による交流、ご支援から得る刺激によるところが大きいと思われます。

 去る7月のサンクンガーデン夏の会はあいにくの雨模様で、恒例の庭園整備で皆様と汗をかく機会がありませんでしたが、環境省の谷垣佐智子氏から貴重なお話をうかがうことができました。その午後の戸定邸庭園復元整備見学会は、天候も回復し、斎藤館長をはじめ、庭園調査、設計、施工に関わられた二葉会の皆様のお話を現場で拝聴することとなり、学生には大変刺激的な内容であったと思われます。同じ7月には町田誠氏に、2年生向け科目の中で、公園の運営管理と価値に関する新しい展望をお話しいただきました。加えてこの年末には、実学セミナーとして藤井英二郎氏に研究と実務の双方から、
庭園・都市緑地に関わるお話をいただく計画となっております。緑地環境学科の幅広い視野は、今年もエコプロダクツ展で公開いたします。また2月初頭に行われます、学生の卒業研究・修士研究発表会では学科の研究内容を一望することができます。公開発表会ですので、ぜひ二葉会の皆様にも
会場におこしいただき、様々な専門分野からご意質、ご討議いただけると幸いです。

 平成30年3月の卒業生は70名、そのうち半数弱の31人が大学院へ進学し、緑地環境学の未来を担っております。就職先は多様ですが、緑地環境や農業に関係する専門性を活かした就職が多いと言えます。大学院からは昨年度3月に修士36人、博士4人が輩出されました。大学全体の国際化の流れを受け、
緑地環境学コースでも、博士前期後期ともに、留学生の人数が半数以上を占めるようになり、英語のみの講義・演習も普通となってきています。
日本人学生の海外進出の機運も活発化しており、短期・長期留学を含め、この一年内に海外へ出立した学生は、14人にのぼります。

 一方、国際化促進のために学部ではキャップ制が課され、必修を削減せざるを得ず、基礎教育も改めて工夫が必要となってきています。大学院講義も、受講者が学部より多い場合もあり、昔の研究室単位の教育体制からかなり異なってきており、こうした教育環境の変化も大きい昨今です。

 文末になりましたが、今年度は学科長・三谷徹、緑地科学領域長・百原新先生、環境造園学領域長・章俊華先生、環境健康学領域長・岩崎寛先生という体制で臨んでおります。よろしくお願いいたします。

活動報告

昭和46年(1971年)卒業生 46造園同期会の報告

 昭和46年(1971年)卒業の我らは、御年アラウンド70。大学というところは同じ年に入学しても年齢が同じとは限らない。
従って同期会も何か名目をつけないとなかなか集まる機会がない。

卒業何周年というのもわかりやすいが、今年で卒業47周年と言うことで中途半端。前回はアラカン、すなわちアラウンド還暦で京都で開催11人が参加。あれから10年。我々も古希を迎えた。従ってアラコキ同期会を計画することにした。

 同期25人中4人が既に亡くなり、齢70ともなればどこかしら身体に異常を来すものも多く、ガン治療を受けたもの、降圧剤を服用しているものなど、
この機会を外すと再び会えなくなるかもしれないと、出来るだけみんなが集まりやすい本州の真ん中当たりが良かろうということになった。

 言い出しっぺの塙(旧姓川島)君が色々考えてくれて、静岡近辺でどうかと言うことで、静岡在住の横井(旧姓鈴木)君、本間君に声をかけていろいろと
情報を貰った。

 造園だから竜潭寺庭園の拝観をし、せっかく静岡まで来たら観光地をめぐろうと色々探した結果、一日目は奥山半僧坊(方広寺)と竜潭寺、二日目はオプションとして三保の松原へ行くコース、浜松城や楽器博物館をめぐるコースなどを選定し、各人の裁量にまかせた。 宿泊は舘山寺温泉なども考えたが、
観光地はちと高いし、翌日の行程を考えると浜松駅近辺が良かろうと、ビジネスホテル宿泊、ホテル内にある居酒屋で宴会と素案がまとまった。

  全員に出欠を確認したところ21人中18人の出席の回答を得た。残念ながら3人の欠席者のうち一人は同期会のおよそ1ヶ月前になくなってしまった。
出席率90%という驚異的な数字は、これが最後の同期会になるかもしれないという前宣伝が効いたのかもしれない。

  2018年2月9日、11時30分に浜松駅新幹線口に集合。中には卒業以来初めて顔を合わせるという仲間もいて、お互いの元気な顔を確認し合った。
12時過ぎにはバスで奥山半僧坊まで70分程度のバス旅。車内では近況の交換に花が咲いた。バス終点から半僧坊まで15分。近くに見えるお寺を目指したら、どうやら別の寺らしい。学生時代から用意周到で要領のいいI君が商店で確認してくれて正しいコースに。ここからは三々五々山道の参道をたどりながら、途中の五百羅漢と対話し、都会では味わえない荘厳な気持ちで本堂まで。

 奥山半僧坊は井伊直虎ゆかりの寺でもあり、いろいろな展示も見られた。帰り道は途中の土産物屋さんで地元産のハッサク、ポンカンなどを買い求めるものや、おまんじゅうを購入して配るものなど学生時代に還ったような気分であった。 そこから竜潭寺まで、またバス。井伊谷宮バス停で下り、井伊谷神社を見ながら竜潭寺まで歩く。竜潭寺境内には井伊直虎や井伊直親、井伊直政の墓などがあり、大河ドラマ「おんな城主直虎」を見ていた方には親しみが湧くだろう。 竜潭寺庭園は小堀遠州の作と伝えられる名庭で、山の斜面を生かした池泉鑑賞式庭園。禅寺としての様式を伝えている。本堂前でツアー参加者の集合写真を撮り、ホテルに直行。 ホテルロビーでは、ツアーに参加できなかった遠方からの参加者も合流。久闊を叙す間もなく、宴会場へ。

 宴会では乾杯、懇談の後、浜松の会場から歩く距離の近い順で近況報告を行い、それぞれ皆学生時代とちっとも変わっていないことを確認しました。
最も遠かったのは鹿児島から来た岩森君、次が広島の小松君。 話題は今後の同期会のことになり、これが最後と思ったら、大阪の芝原君がたくさん稼いでみんなを招待するので、喜寿には故郷の鹿児島で同期会をやろうと提案してくれました。鹿児島は遠いけどそれまで健康で生きて、ぜひ参加しよう。

  宴会の中締めの後、一旦宴会場はそのままにしておいて貰って、ホテルのロビーで記念撮影。その後元気のいい人達は宴会場に戻り宴会の続き。
翌日は朝食の会場で、帰る人、三保の松原へ行く人、浜松市内の観光に行く人と、それぞれ別れを惜しみながら散会した。

『有朋自遠方来、不亦楽乎』
浜松市内ホテルロビーにて
(造園昭和46年卒)
浜松龍潭寺境内にて
(造園昭和46年卒)

二葉会員の活躍を訪ねて 【第10回報告】

~多摩ニュータウンの計画・現在・未来は~
企画幹事会幹事長 平山 実(昭和57年卒)

 平成30年10月28日(日)、大石武朗氏(造園昭和41年卒:元都市再生機構 現唐木樹木養生所所長)を講師に、多摩ニュータウンの堀之内駅から多摩センター駅の間の公園緑地を見学した。参加者は22名。多摩ニュータウン計画の背景、事業手法の検討を含め、多摩丘陵の地形と自然を活かした優れた
居住環境を整えた魅力ある大規模なまちづくりの取組みを、紅葉の始まりを迎えた清々しい陽気の中で伺った。多摩ニュータウンは面積3,000haという全国最大規模の開発計画である。昭和30年代、都市の急激な人口集中により、道路・下水道等の都市基盤整備を上回る速さで市街地が無秩序に郊外に拡大するスプロール減少が始まった。多摩丘陵一帯は、都心から25~35㎞に位置し、市街化が遅れ、谷戸部に集落が点在する地域であったが、京王線沿線では民間による雛壇上の宅地造成など、緑の保全は全く考慮されていなかった。 都心から50㎞圏内に大ロンドン計画にならったグリーベルト構想もあったが、宅地化の勢いから有名無実化しつつあった。そのため、多摩丘陵で都市計画の空白地帯となっていた地域を都市計画で担保しようとしたのが多摩ニュータウン構想の始まりであった。

 公園緑地では独特なデザインが試みられ、東洋一のピラミッドをとの意気込みで整備された秋葉台公園、巨大な丘やゴイサギのモニュメントのある公園など当時の計画者の発想の豊かさに驚く。長池地区のせせらぎ計画は、上流の長池周辺を水源として保全し、下流側の築池では安定的な流量を確保するため、自然流下のオリフィス方式を採用し、集合住宅敷地内では雨水を貯留するほか、公園の地下には砕石を深く敷き込んだ地下ダムを整備するなど、
水源を確保に取り組んでいる。

 みどりの保全・再生では、土が海生成土壌のため、表土の保全や大径木移植を立て曳きや重機移植機を使用して既存樹木の移植を行っている。
集合住宅の大量供給と相反するものであったが、昭和50年代に入ると、「自然地形案」と言われる開発も進められた。

 長く多摩ニュータウンの計画に関わってこられた大石先輩や上野泰先輩など個性豊かな方々が公園緑地に新しい文化を築いてこられたと強く感銘した。

【31年度予告】  諸先輩の活躍場所などの企画を予定。詳細は今後、 企画幹事会のHPに掲載しますので、ご期待ください

秋葉台公園のピラミッドにて

せせらぎへの思いを熱く語る大石先輩


『造園実務必携』と林脩巳『庭園に就て』

『造園実務必携』と林脩巳『庭園に就て』
藤井英二郎(昭和49年卒)

 

会長を仰せつかって2年になりました。お忙しい中、会の運営を手弁当で支えて下さっている幹事会の方々と、大所高所から助言下さる相談役会の方々に支えられています。ありがとうございます。

 多くの卒業生と現職教員の方々に執筆頂いた『造園実務必携』がもうすぐ朝倉書店から刊行されます。執筆者は異なりますが、同じく教員と卒業生でまとめられた体系農業百科事典第7巻『造園』が発行されたのが1967年ですので、ほぼ半世紀ぶりです。朝倉書店では、東京農工大学林学科編『林業実務必携』の造園版をというお考えでしたが、マニュアル的内容からの脱却を目指しました。課題山積の現状を改善する手がかりや支えになれば、何よりです。

  昨年の「ふたば」52号では、二葉会の起点である森歓之助先生の足跡とブリティッシュ・コロンビア大学新渡戸稲造記念庭園のことを記しました。
今回は森先生の先生・林脩巳先生について管見を記したいと思います。林先生を顕彰すべく精力的に調査され、「花葉」33号・2014年(花卉園芸関係卒業生中心の花葉会の雑誌)に「林脩巳先生のこと」を書かれた小泉力氏(昭和35年3月園芸学科卒で千葉県庁OB)が昨年、亡くなられてしまったことは誠に残念です。

 林先生は、新宿御苑で近代園芸学の父・福羽逸人に学んだ後、明治28年から早稲田の大隈重信邸の庭園主任を10年間勤めた後、明治37年から39年まで、イギリス・フランス・アメリカで研修しています。帰国後、明治40年から三菱・岩崎家の園芸・庭園主任となり、翌41年高輪邸(現開東閣)庭園をジョサイア・コンドル、福羽と竣工しました。翌42年千葉県立園芸専門学校開学から大正11年まで講師としてキャンパス全体の計画から設計・施工を担当されました。具体的には、イタリア式庭園、フランス式庭園、風景式庭園を設計・施工して、講堂の位置を決め、現B棟位置にあったブドウ温室の設計から花卉園、果樹園などの設計にも関わったと判断されます。キャンパスの地割・地盤造成・建物配置計画、庭園から温室、花卉園、果樹園に及ぶ設計・施工は、新宿御苑や大隈邸、岩崎邸整備とイギリス・フランス等で培われた知識・技術の展開であったと思います。 御苑整備はもとより、近代園芸に注がれた福羽の情熱については、『福羽逸人回顧録』(国安俊夫氏・昭和49年卒が環境省新宿御苑管理事務所長の時に刊行)に詳細に記され、御苑における教育の厳しさがうかがえます。また、福羽の薫陶を受けた方々の回想録によって林先生は御苑内にあった福羽の自宅でフランス図書翻訳の筆記などもされていたことがわかります。

 成田山新勝寺で教育文化五大事業を進められた石川照勤貫首は、大正4年それまでの境内の花園を理想的な大公園にする計画を立て、林先生に設計を
依頼し、昭和3年に竣工します。現場の地割には当時の高等園芸の学生が加わったことが成田山公園工事報告書に記されています。成田山公園は、落差7,8mもある滝から流れ落ちた水が木立ちを抜けて奥深い上池に流れ注ぎ、中池、下池の広闊な空間に至る日本庭園と、滝の北側少し離れた斜面に造られた幾何学式庭園とを、公園的利用を想定した幅広の園路が繋ぐ構成になっています。工事には、東京の庭師・松本幾次郎が関わったとされ、林先生と松本幾次郎がどのように関わったのかが検討課題です。ちなみに、松本幾次郎の下で修行したのが飯田十基でその弟子が小形研三ですので、系譜が繋がります。

 成田山新勝寺の仏教図書館には「林文庫」があり、その中に『庭園に就て』という手書きの本があることを、「成田山公園の設計と構成に関する研究」を卒業論文としてまとめた𠮷岡賢人氏(平成24年卒)が見つけてくれました。本は無記名ですが、亡くなった小泉さんが筆跡を精査し、林先生の筆跡であることを確認し、小生も以下の内容から判断して間違いないと思います。
目次は次の通りです。

 第一編 緒論
  第一章 吾國庭園様式ノ将来     1

  第二章 吾國造庭書ノ内容      11

 第二編 東西庭園ノ変遷ト比較    
  第一章 日本庭園ノ変遷       69
  第二章 西洋庭園ノ変遷 75
  第三章 東西庭園ノ差異 81

 第三編 建築ト庭園ノ関係
  第一章 吾國建築ト庭園トニ関スル歴史 92
  第二章 建築ト庭園ノ調和 111
  第三章 建築ト庭園ノ関係 117
  第四章 直線美ト曲線美 137
  第五章 自然ト建築トノ関係 143
  第六章 屋上庭園ノ必要 150
  第七章 風景ト建築トノ関係 155
  第八章 色彩ト光線 172

 第四編 庭園ノ材料
  第一章 設計上ノ注意 194
  第二章 庭園木 203
  第三章 燈篭 241
  第四章 手水鉢 248
  第五章 庭石            256
  第六章 垣             295


 もう一つの課題は、執筆年です。大正年間としますと、田村剛(1918)造園概論、成美堂書店や上原敬二(1923)庭園學概要、新光社など、
草創期の造園書と並ぶことになります。林先生は昭和20年3月13日に逝去されていますので、執筆時期が昭和に入っていたとしても、洋の東西の建築と
庭園の関係を論じた内容は他を凌駕する内容で、高く評価されます。

成田山公園上手の滝

滝から北に少し離れた斜面に造られた幾何学式庭園

滝から木立ちの中を抜ける流れ

奥深い景観を構成する上池

中池から下池に流れ落ちる滝

浮御堂のある下池

成田山仏教図書館「林文庫」の
『庭園に就て』