学部ニュース
緑地環境学科の近況
緑地環境学科 学科長 百原 新
令和2年は、学部・大学院とも全員が海外に留学する国際化プログラム(グローバル人材育成ENGINE)が始まり、大学院も改組によって園芸学研究科環境園芸学専攻がランドスケープ学コース、園芸科学コースの2コース体制で始まりました。
しかしながら、この新学期は新型コロナウィルス感染症の影響を受けて始まり、教育・研究や学生生活の様相がすっかり変わり、大学内の活動が大きく制限されました。入学式・ガイダンス等の行事は中止になり、連休明けの5月7日からビデオ教材等を利用したオンライン授業が始まりました。学生からは、聞き逃したところを何度も視聴できてよいといった声もある一方で、双方向のやりとりがすぐにできないもどかしさを感じました。ビデオ教材の作成も、対面の講義では一度話すだけで済む内容を、何度も声を吹き込み直したりすると、かなり時間がかかります。
その中で、セミナーや修士・博士研究発表は、遠隔システムを使うなどしてお互いの姿を確認しながらコミュニケーションがとれるようにしました。8月からはお互いに距離をとりながらも、キャンパスでの対面授業ができるようになりました。
令和元年度の学部卒業生の進路は大学院進学が37%、公務員が32%、建設・不動産関係が10%、情報サービス関係が7.3%と、いつものように公務員への就職比率が高い傾向があります。
令和2年の学会研究発表やデザインコンペでの活躍はめざましく、博士前期課程の水谷蒼さんの応募作品がトウキョウ建築コレクショ2020修士論文展においてファイナリストに選出され、環境造園学プログラムの出立 琳さんが、全国合同建築卒業設計展「卒、20」において、全国から集まった75作品の中から第一位に選ばれ、最優秀賞と総合資格賞を受賞しました。博士前期課程の笹原洋平さんと学部4年生のHsuan Luさんが2020年度日本造園学会全国大会学生公開デザインコンペにおいて、全国から集まった55作品の中で最優秀賞を受賞しました。
博士前期課程の近藤義さんが、第55回東京都公園協会賞奨励賞(技術部門)を受賞しました。また、2019年度博士後期課程修了生(環境園芸学専攻)の西坂涼さんが日本都市計画学会学会賞論文奨励賞を受賞しました。2018年度卒業生の矢野梓水さんが筆頭著者で2018年に公表した論文が日本植生史学会論文賞を受賞しました。
緑地環境学科の令和元年度から令和2年度への教員の異動は、長年教鞭を執ってこられた環境造園学領域の木下 勇先生(教授)が退職され、緑地科学領域の加藤 顕先生(助教)が准教授に昇任されました。また、令和2年7月から竹内 智子先生が環境造園管理学領域の准教授として着任されました。さらに、令和元年度には3名の客員教員および研究員の先生方を迎えました。
大学院園芸学研究科ランドスケープ学コース(コース長・百原 新)は環境造園学領域が環境造園計画学(領域長・古谷 勝則先生)、環境造園デザイン学(領域長・池邊 このみ先生)、環境造園管理学(領域長・柳井 重人先生)の3領域に、緑地科学領域は緑地環境システム学(領域長・百原 新)と緑地環境資源学(領域長・本條 毅先生)の2領域に分かれ、環境健康学領域(領域長・岩崎 寛先生)とあわせた6領域体制になりました。
令和元年11月には、皆様にご支援いただいた新しい図書館「松戸アカデミック・リンク」が開館しました。現在は、周囲の緑の丘の造成が続いており、完成間近です。新型コロナウィルスの影響を受けずに、皆様に新しく整備された松戸キャンパスに来ていただける日が早く来てほしいのものです。今後とも在学生へのご支援,ご交流をいただきますよう、よろしくお願いします。
風景式庭園の推移と復元
藤井英二郎
初めに 平成28年5月末に風景式庭園がほぼ復元されました。風景式庭園は林脩巳先生の計画・設計・施工です。林先生は、明治25〜27年に新宿御苑で福羽逸人の指導を受けた後、28〜37年に大隈重信邸庭園部主任、37〜39年欧米で調査・研究,39〜42年岩崎家園芸場長を経て、42年12月8日千葉県立園芸専門学校講師となり大正12年7月まで勤務されました1)。
明治42年4月1日開学後、翌43年からイタリア式庭園、フランス式庭園の造成が進み、風景式庭園は同44年から現状より3mも高かった山を実習で切り崩し東側に盛って山を低く広くし(写真1)、大正2年竣工しました2)。風景式庭園は、大正3年起工、4年に竣工した講堂の南側のヒマラヤスギで自然に区切られた半円形広場と講堂南側バルコニーから俯瞰する庭園として造成されました。つまり、講堂はフランス式庭園の軸線に合わせるよりも、風景式庭園を俯瞰する半円形広場確保を優先して北に寄せて建てられたのです3)。
このことは、明治43年林先生が建築雑誌280号に書かれた「庭園築造の心得」4)の「先ず理想と考案を定めよ 家屋の建築前に庭園を造れ」の実践例でした。
このように風景式庭園は、園芸学部はもとより日本造園界にとっても記念碑的意義がありながら、このことを忘却するような推移がみられました。 ここでは、風景式庭園の推移を辿り、何が忘却に至る契機になったのかを明らかにするとともに,近年の復元がどのように進められたのかを報告して、多くの卒業生に感謝するとともに、 今後に残された課題を明らかにしておきたいと思います。
大正4年講堂が竣工して、半円形広場周りにヒマラヤスギが植栽され,フランス式庭園との間には庭園の軸線を受けるようにイタリアンサイプレスの対植が植栽されました5)。その前年には風景式庭園にアカガシが植栽され、図1では芝生地南部左手・東側の単木と推測されますが、
現状では芝生地東端に沿って南に延びる園路が二手に分かれた間の木立内にあります。因みに芝生地南部,西側の単木が現在大木となっているクスノキです。講堂バルコニーから俯瞰した写真2では、芝生地中程がクスノキ,その左手奥がアカガシで、右手中程の木立がスダジイです。図1では風景式庭園に入る幅広の園路が二分した右側園路から左に分かれて芝生地内を四阿に向かう細い園路の右手木立がスダジイです。写真3は、風景式庭園から見た講堂南側のバルコニーと植栽で、講堂正面が風景式庭園側だったことがよくわかります。図2は、芝生地南西端にあった四阿のスケッチです。大正3年11月〜昭和17年まで園芸学校で図画を担当された田中寅三先生6)の手になるもので、西に富士山が遠望されています。
風景式庭園が大きく変化するのは、千葉大学園芸学部になった戦後です。図3は昭和33年園芸学部平面図の風景式庭園部分で、「造園学科実験室及同研究室」として使われた木造平屋建物が庭園北側に配置され、その南西側に産業教育70周年を記念した記念館(昭和32年竣工)も見られます。北側の東西棟建物がいつ、どのような経緯で配置されたのか、明らかにできていませんが、この建物によって講堂と風景式庭園との関係が絶たれ、記念館と故飯島亮先生設計の庭園はこの建物を前提にして設計されたと考えられます。 この後,昭和56年に講堂が取り壊され、同58年に現A棟が竣工しました。A棟の位置は旧講堂を踏襲していますが,正面はフランス式庭園側になり、南側には非常階段が設置されて風景式庭園との関係は考えられていません。さらに、平成2年柏農場(現柏の葉環境健康フィールド科学研究センター)が開設されて、園芸学部付属農場内の木造建物が取り壊されることになり、現百周年記念館の位置にあった通称「造園小屋」が撤去されました。この撤去が風景式庭園に関わって残念だったことは、屋根裏に四阿の部材が保存されていたことが後でわかり、保存できなかったことです。このように、講堂から俯瞰する庭園として整備された風景式庭園の北側に東西棟の建物が配置されたことで、 記念館がその南西側に造られ、さらに講堂が解体されて、その跡地に建ったA棟はフランス式庭園側に正面を向け、南側には非常階段が設置されてしまったのです。
平成23年3月東日本大震災で、学生・教職員・卒業生に永く使われてきた記念館(洗心館)が使えなくなり、同25年建物と飯島先生設計の石張り部分が撤去されました。記念館の広間南側には畳より一回り小さい花崗岩の切石が2石あり、取り外したときにその下端に高台があることに気づきました。飯島先生は地面から僅かに浮いたように見える飛石を設計されていたのです。2石は、後述する新洗心館の沓脱石として高台を活かすように据付られました。
風景式庭園復元が急速に進んだのは、卒業生・松坂喜一氏(柏物産(株)代表取締役、平5・農化院修)のご寄附によって平成27年後半から新たな建物(「洗心倶楽部」)の計画・設計協議が始まってからですが、庭園復元に向けた準備・整備は平成24年には始めていました。その年、実験圃場で大がかりな雨水貯留枡設置工事が行われましたので、その掘削土を風景式庭園西側に搬入し庭園復元工事に備えました。翌25年度実習で記念館周りにあった低木を移植し、建物撤去跡地に地盤を造り芝生を張りました。この時,四阿の礎石と判断される1石を検出しました(写真4)。26年度実習では芝生への日照確保のため南側・西側樹林を間引きし、またハナミズキ,ゴヨウマツの根廻しを行いました。27年度には大学院実習,別科実習も加わり、園路跡の試掘確認、芝生地盤整備、一部の園路復元、ハナミズキ・ゴヨウマツ・ソテツ・ツツジ類のプール南・図書館南・南門前・百周年記念館南への移植を行いました。なお、芝生地の東側園路の直ぐ東側には現在クスノキの大木が並んでいますが、戦後どこからか移植されてきたものと判断されます。
平成28年1月からは、風景式庭園関連工事を委託されたアゴラ造園(株)(担当・石井匡志さん、平15院修)によって、芝生地西側に隣接するスダジイ・シラカシ・コナラ等の伐採や芝生地盤粗造成が行われ、実習ではソテツ植栽近くにあった景石をロックガーデン東端へ運び据付けました。そして、3月22〜24日には末吉和人さん(エコグリーン代表取締役、昭63卒)の指導の下、延べ50人の学生・卒業生が南側1400㎡の芝生地盤整形・園路造成と芝張りを行いました。その後、建物の足場がとれた5月6,9日には末吉さんの指導の下,実習学生と卒業生で建物周りの芝生地盤整形と園路造成、10日に実習学生に加えて延べ25人の学生・卒業生で700㎡の芝張りを行って、風景式庭園の芝生園地が竣工しました。さらに、12日には村山日代紀さん(にわばん呉藤、平18卒)と吉岡賢人さん((株)吉岡緑地代表取締役,平24卒)が、旧講堂から俯瞰したときに遮蔽が強かったコウヤマキ・ヒヨクヒバ等を剪定して下さり、往時の風景式庭園が大凡復元できて、平成28年5月14日竣工記念式典となりました(写真5)。なお、吉岡さんにはその後,四阿跡東側の実生で幹直径1m(年輪数50)のクスノキをツリークライミングで伐採して頂きました。
風景式庭園復元に当たっての基本方針は、千葉県立高等園芸学校平面図(図1)、園路遺構・四阿遺構・現存植栽をもとに復元することとし、新洗心館の位置・形状、芝生地、園路、植栽の方針は下記の通りでした。なお、新洗心館の位置・形状に関わる現場協議を含めて上記の復元整備の全てに学部の技術職員・高橋宏さんが加わって下さいました。
新洗心館の位置と形状:
●旧講堂南広場から四阿への見通し、富士山への眺望を確保できる。
●芝生の広がりを妨げない。
●千葉県立高等園芸学校平面図と現況・遺構にもとづく園路の連続性を確保する。
芝生地:
●緩やかな中高地盤とし、広がりを強調するとともに、表面排水を確保する。
園路:
●千葉県立高等園芸学校平面図では幅4mであるが、園路遺構・現園路が幅2mで あることから、幅員2mを基本とする。
導入路:
●車いす利用者を想定し、風景式庭園への導入路は建物へのアプローチ園路分岐までアスファルト舗装とする。
ただし、さらに南に繋がる東園路との連続性を確保する。
アプローチ園路:
●コンクリート舗装とする。園路の縦断勾配は、建物玄関前に旧洗心館庭園の高台付き長方形の石を活用すること、また南から合流す る四阿からの園路の排水勾配を確保できるものとする。
東園路:
●導入路に接する北側区間は導入路との連続性と、既存砂利の活用を図るため砂利敷きとする。
その他の園路:
●往時の構成のまま、土舗装とする。
植栽:
●既存樹木は最大限保存するが、風景式庭園の特徴を復元する上で妨げとなる樹木は移植・伐採する。
四阿遺構確認調査で検出された礎石1石、写真、スケッチ、実態記憶をもとに四阿を復元すること、四阿・旧講堂南の半円形広場から富士山遠望を妨げる樹木の伐採・剪定、芝生地の東・南・西側の樹林管理、芝生地の西側園路から新洗心館北西を経て導入路に至る園路の復元等が課題として残っています。
文京区ふるさと歴史館で令和3年1〜3月に開催されるジョサイア・コンドルの建築以外の特別展に向けて、コンドルに関わる庭園を調べますと岩崎彌之助の高輪邸(現開東閣)の幾何学式庭園や風景式庭園に林先生が深く関わっていることが再確認できました。先生は、高輪邸を担当する直前2年間、欧米で調査・研究されていたことも合わせて考えれば、園芸学校の風景式庭園はそれまでの知見・経験をもとに講堂を含めた風景式庭園を、着任早々構想されていたと推測されます。先生が大正12年7月千葉県農事試験場に異動された経緯は調べられていませんが、昭和15年まで園芸部長として活躍されたことを考えますと、園芸学校離任が惜しまれます。
そして、先生が書き残された『庭園に就て』(成田山仏教図書館所蔵)とコンドルの『Landscape Gardening in Japan』(明治26年発行)との関連性の検討も課題です。『庭園に就て』には脱稿年月日が記載されていませんが、先に引用した細谷宗令氏の分析によって明治末〜大正極初期とされています。
写真1 「明治44年新庭園開墾実習状況
図1 千葉県立高等園芸学校平面図部分(大正6年頃、湯浅四郎助教授作図;図上が南)(千葉大学付属図書館園芸分館所蔵)
風景式庭園
写真3風景式庭園から講堂と講堂前植栽
(昭和6年)
写真1 「明治44年新庭園開墾実習状況
図2 風景式庭園四阿の田中寅三先生
スケッチ:
節付き丸太の柱で腰壁付。
西に富士山
図3 昭和33年当時の風景式庭園:北部に東西棟の建物、その南に記念館(洗心館)
写真4 東南から四阿跡
(2016年3月26日)
写真5 風景式庭園復元直後:奥の緑の濃い芝生が3月24日芝張り部分(2016年5月14日、旧講堂南半円形広場から撮影)
引用文献と
1)小泉力・細谷宗令(2019)林脩巳の経歴・事績及び周辺関連事項年表
2)『母校の歴史を語る座談会』(昭和17年5月24日開催)。石井匡志(2001)千葉高等園藝学校キャンパスの校庭に関わる資料,園芸・緑地資産に関する座談会資料より
3)藤井英二郎(2005)建築と自然環境との関係再生、建築雑誌120(8),18-19
4)林脩巳(1910)庭園築造の心得、建築雑誌,202-204
5)須田歩・趙炫珠・李宙営・藤井英二郎(2009)イタリアンサイプレスの対植による幾何学式庭園に対する眼球運動の変化に関する研究、ランドスケープ研究72(5)、465-470
6)松戸市教育委員会 美術館準備室編(1995)『田中寅三ー松戸に根をおろした白馬会の画家ー』
アカデミック・リンク松戸の造園工事について
木下剛(アカデミック・リンク松戸緑のテラス周辺ワーキング委員)
おかげさまをもちまして、令和2年10月23日、アカデミックリンク松戸(以下、F棟)緑のテラスの工事が完了、引き渡しが行われました。このあと、緑のテラス地先にレインガーデン(雨庭)、F棟北側の外構部分に植栽や小広場が整備される予定です。緑のテラスの考え方については、折に触れ戸定会報で紹介してきたのでここでは概要とその後の進捗状況についてご報告させていただきます。
緑のテラスは、10月28日に仮囲いが取れ、イタリア式庭園の既存の3段のテラスに続く4段目のテラス(図書館2階メインフロア)に続くスロープとしての全貌が明らかとなりました(写真1)。これによりイタリア式庭園は、計4段のテラスとして拡張されたことになります。またF棟は、その東西方向の中心軸が隣接するフランス式庭園の軸線に重なるように位置決めされています。冬になれば、計画どおり、西側開口部からフランス式庭園への眺望が効くようになるはずですが、夏場も眺望を確保するには、ユリノキの剪定が必要です。私は冬場だけの眺望でも良いのではないかと思っています(写真2)。 緑のテラス南斜面はコウライシバ、西側急斜面はタマリュウとしました(写真3)。
緑のテラス北側の土留めを兼ねた緑段には低木類を植栽しました(写真4)。記録のために植えた植物を列挙すると、クルメツツジ、ハマヒサカキ、ビヨウヤナギ、プリペット(以上常緑)、アベリア(以上半常緑)、コデマリ、シモツケ、ムラサキシキブ、ヤマブキ、ユキヤナギ、レンギョウ(以上落葉)です。常緑と落葉を織り交ぜ複数の樹種を採用したのは、イタリア式庭園の園芸学校式混ぜ垣にも通じるものと考えています。緑のテラス東側は(写真5)、三角形のコンクリート擁壁とF棟・事務棟へのアプローチ道路、既存樹(オオシマザクラ)を残した芝生地があります。三角形の擁壁壁面には、高額寄付者の芳名版が設置されます。
レインガーデンは写真5の左、現在の道路の一部につくられます。F棟屋上南半分に降った雨水の全量を南面ファサードに設置されたガーゴイルで落とし、緑のテラス傾斜路脇の砕石側溝を伝ってレインガーデンにオーバーフローさせるのと、芝生斜面および南面道路からの表面排水を受けることを想定しています。レインガーデンには耐乾性・耐湿性を兼ね備えた在来野草を植栽、粗放管理を目指します。
F棟北側外構については(写真6)、西方向への視線を誘導しつつ建物のボリュームにも負けない高木の列植を、管理部隊とも相談しながら検討しているところです。また北側道路からF棟・事務棟へのアプローチ付近には、学生から要望のある小広場の整備を検討しています。
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
活動報告
環境緑地学科第7期・第8期合同クラス会報告@名古屋
藤井 辰則(環緑昭和59年卒)・外木 秀明(環緑昭和60年卒)
令和2年2月1日(土)、表記同窓会を名古屋にて開催致しましたので、皆様にご報告させていただきます。
今回参加者は25名。北は北海道、秋田から西は、鳥取、福岡からと、全国各地のいつものメンバーが集まりました。また、前回同様、教養課程のクラスで一緒だった8期園芸経済学科の仲間の参加もあり、学科・年代関係なく松戸の地で学んだ集まりとなりました。1次会に留まらず、2次会、3次会と夜遅くまで旧交を温める絶好の機会となった。特に今回の企画の目玉は、名古屋の誇る施設見学に力を入れ、造園環緑関係者には是非見てほしい施設として、名古屋城の復元した「本丸御殿」を内部観覧し、また復原中の「二の丸庭園」を案内し、その後、名古屋市東山動植物園にて新設獣舎である「ゾウジアム」「ゴリラチンパンジー舎」、さらに復原中の重要文化財の温室外観を観覧、また登録有形文化財のレストランで、名古屋の歴史を感じてもらう企画(環緑卒業生向け文化財巡り)と致しました。
午前11時に名古屋城東門前に20名集合、名古屋城天守閣は現在復元検討中のため、外観のみ見学し、江戸期の近世城郭御殿の最高傑作と言われる本丸御殿の完全復元された姿をボランティアの方の説明を聞きながら観覧しました。木曽檜の最高級品を全てに用い、重要文化財である障壁画の完全復元模写、金箔をふんだんに用いた全て形状の異なる天井、欄間、飾金具などで装飾された書院造の玄関、表書院、対面所、上洛殿などに圧倒されました。その後、二の丸庭園(名勝)の発掘と復原を一巡しました。昼食は、名古屋城に隣接の尾張名古屋うまいもの街の金シャチ横丁で、名古屋のグルメ1級もB級もそれぞれ好みを堪能し、一路東山動植物園へ地下鉄で移動しました。正門前集合14時に再集合し入園。東山動植物園では、現在~人と自然をつなぐ架け橋へ~再生プラン進行中として、施設を順次整備しています。完成したゾウジアム(アジアゾウ舎)自然の姿を見る生態展示と動物本来の動きを見る行動展示を合わせ、ふるさと“スリランカ”を体感できる施設です。皆さんの興味はこの施設入口に展示のコツメカワウソの可愛さに夢中となっていました。次にヒトのなかまがくらすアフリカの森ゴリラチンパンジー舎を案内。ゴリラ舎では有名なボスのシャバーニの勇壮な後ろ姿、所謂シルバーバックを見ることができました。冬のため屋外にはいませんでしたが、隣のチンパンジー舎では、屋外での日向ぼっこやタワーで遊ぶ子どもチンパンジーの愛らしさに和んだ後、可愛いコアラの寝姿を見て、動物園の案内は終了し、隣接の植物園へ。ここでは、工事中の重要文化財温室、本温室は、日本の公共温室の最古、わが国最初期の本格的鉄骨造温室として重要で、電気溶接による美しいラインを持ち建築技術史上高い価値を持つとされています。復原中のため、工事区域には入れませんが、植物園長さんに無理をお願いして、園内を周遊するために利用されるスカイビュートレイン駅の高台ホームから工事外観を見学しました。前庭も今後イタリア式の洋風庭園として築造されていく予定です。1年半後完成したら、また見に来て下さい。2年後の同窓会も名古屋で開催される?との話もありました。
その後の懇親会までの時間は、小グループになり、園内を自由観覧し、16時30分に正門に集合、次の懇親会会場である、サイアムガーデン(登録有形文化財)タイ料理レストランに向かいました。この建物は、昭和初期に建てられた洋館で旧加藤商会ビルと呼ばれ、タイの領事館にもなった、名古屋に日泰寺(宗派に属さない全仏教徒のためのお寺。タイ国から拝受したお釈迦様の真骨を祭る)があるようにタイとの所縁の深い建造物です。ここの3階フロアで全25人が揃い、タイ料理を味わいながら、それぞれの近況、仕事のこと遊びのことなど十分に飲み語り合いました。そして1次会で数人が抜けたのみでほとんどが2次会へ突入。まだまだ続く…。皆さん遠路お疲れ様。楽しい1日でした。
次の開催は、2021年2月20日に川越集合です。その次は鳥取開催ということになりました。今回、名古屋は満喫出来ましたか?今回の企画をお手伝いいただいた名古屋在住の幹事の皆様(堀田様、江口様、吉田(横手)様)、ありがとうございました。
最後に、総合幹事(?) より、同期(環緑7期・環緑8期) の皆さまにご案内があります。今回からは、参加者向けにグループラインを作り、その皆様向けにご案内致しました。連絡できなかった同期の皆様には誠に申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。今まで幹事をしていた経験からお話ししますと、グループラインを使うことにより、皆さんとの連絡が非常に便利になりました。
現在、海外で活躍する先輩含め32名の仲間がグループラインに入っています。環緑問わずとしましたので、同学年の他学科メンバーも仲間に入っております。企画立案から概要案内、出欠確認、当日の参加者の位置確認まで、非常に有効でした。最初は、クラス会に集まったメンバーだけでグループラインを作り、その後は、年賀状のやり取りしている仲間に、「グループラインに入りますか?」とか、個人的に連絡を取っていた仲間を、グループラインに招待し、広げてきました。
今までの幹事は、その作業量が膨大で、①往復郵便はがきで案内送付し、出欠確認する。→これは作業手間と費用(往復はがき代)が掛かる。②メール→メールアドレスが変わり、届かない連絡が来ると、その後の連絡手段がない。③ライン→費用も掛からず、手間もかからず。
グループラインを作っておけば、引き受けた幹事の作業は、大幅に軽減されます。今回ご案内できなかった同期の皆様、この機会に、グループライン登録希望者は、外木のメルアドMAILまで連絡ください。ご存知と思いますが、ガラケーではライン使えないようです。本稿を読まれた、二葉会の皆様も、是非ともお試しください。